解放区

言葉として、記録として

雜考5

 カルチャーショックという概念がある。僕はそれについて少し誤解していたようだから、ここにその覚書をしておく。

 

 

 まず、カルチャーショックは、僕が思っていたような可視の一撃ではなく、不可視の劇毒のようなものだということ。文化の違い・様式の違いに驚いてショックを受けることというより、日々、思っていることを伝えられないこと、ままならなさに対しての蓄積される懊悩であると思う。少なくとも自分にとっては。

 

 努力はしなければならない。けれどそれでもどうにもならないのは今までの環境と遺伝の生得的側面。日本で生まれ21年過ごすという経験はここでは反対方向に作用する矢印にもなりうる。

 

 親しい友達でさえ、細やかな心の在りようを読み取るのは今の自分には不可能で、逆に自分の仔細を伝えきるのも難しいと思う。「分かり合えないことから」という誰かの本のタイトルを思い出す。ここがスタートラインなのかもしれない、と自分に言い聞かせて夜は深くなってゆく。