解放区

言葉として、記録として

雜考4

 ここに来て二か月が経った。月並みな叙述だが、本当に一瞬のように感じられる二か月だった。この二か月で、おそらく僕は人生において最も変化したと思う。それはもちろん外見的な変化でなく、精神的なものだ。

 

 

 精神的に、少し鈍くなったように感じる。それは日本語の細かいニュアンス、言語に潜む相手の意図、感情、裏の文脈を讀めなくなったからというのがその理由になる。言語が異なるということは、言語の肌理、感覚の問題にまで波及する。

 

 同時に、鋭くなったとも感じる。これはなにか”枠組み”のようなものに対してのメタフォリカルな洞察である。それはNZでできた友達とのコミュニケーションによって培った、文化差からの世界への洞察といってもよい。

 一人一人が刺激的で、魅力的な、人々。その相互関係が木の根のように続いてゆく。自分も今だけはその連環の中の一つのピースである。それは事実である。このコミュニティの中で、自分は他人を吸収している。自分を形成するピースを、他人の内側に見ている。

 

 

 

 僕は頭が悪いので、難しい話はこれくらいにしたい。

今日、この夜中にふと思ったのは、別れは悲しいということ。

二か月しか経っていないけれど、日本とNZは遠いという事実は二か月前と変わらない。

もし、明日の朝、目が醒めて11月になっていたら、僕は大声で泣くだろう。十分にこの場所を生きることができなかった後悔と、別離の悲しみを思って。 だから、悔いのないように、残りの月日を生きていきたいと思う。消費するのでなく、蕩尽するのでなく、生きていたい。異国での一年、この地の仲間たちとの掛け替えない時間を。