解放区

言葉として、記録として

2019-01-01から1年間の記事一覧

鈍考

広島から兵庫へ、大学と実家の関係の二つの都市をこの時期は往復することになる。俗に之を帰省と云ふ。苦学生である僕はお金がないので、一番安い手段である、在来線の各駅停車で七時間ほどかけて神戸まで帰省するわけだ。そして今日、12/31に帰省することに…

読書論①

読書をするということは、補完である。どういうことか。 言うまでもなく、読書というのは究極的に孤独で、内的な作業である。読書の効用は果たして、その一人称的作業のどこに位置しているのだろうか、と考えてみる。まずは、読書をするとき、私たちが読んで…

武者小路実篤『愛と死』 所感

お久しぶりです。長らく放置していたこのBlogですが、NZから帰国して時間ができたので書こうと思い立つ。今は日本の生活に再順応する時間を送っていますが、こういうのを逆カルチャーショック、なんて呼ぶそうです。ひえ~。

雜考6

Examが始まる。一学期の締めくくりである。もうすぐオークランドに来てから4ヵ月が経とうとしているが、勉強は依然として苦手である。

喪失の価値

昨日はじめて部屋に備え付けのヒーターをつけたら、埃の焦げる匂いが充満して参ってしまった。これは実感なのだが、今まで住んできた地域と季節が逆転していて、その中で”生活する”ということは、実に奇妙なことだ。

雜考5

カルチャーショックという概念がある。僕はそれについて少し誤解していたようだから、ここにその覚書をしておく。

雜考4

ここに来て二か月が経った。月並みな叙述だが、本当に一瞬のように感じられる二か月だった。この二か月で、おそらく僕は人生において最も変化したと思う。それはもちろん外見的な変化でなく、精神的なものだ。

幻を駆る

殊に英語を話していると、自分は不能感を感じることがよくある。自分には考えがあり、その詳細な部分まで英語では描き切ることができない、という種の不能感であり、閉塞感。

平成最後の日に寄す

感慨は少々乏しいが、振り返る意味はあるだろう。 平成という時代が終わるらしい。このようなお祭りムードの時節に日本にいないのは痛恨だ。この目で社会がどのように動くのか、天皇の生前退位による元号の変化を見たかった。このまま歴史の節目に立ち会うこ…

雜考3

夜も更けてこちらは午前三時になります。朦朧とした思考で、拙筆を。 言語について。 「どういう状態になれば、英語をマスターしたと言えるだろうか」という質問に、友達は「その言語の『笑い』(comedy)が分かったときかなぁ」と答えた。その友達はニュージ…

雜考2

日本にいる友達から、電話で「写真を見る限り、最近生き生きしているね」という意の言葉をもらった。何故かはわからない。ここにきて特段表情や生活習慣を改めたわけではない。だが、思い当たるとすれば、ひとつここで棄てた意識があることだ。それは、「人…

Road trip to Rotorua

Kia ora! おはようございます。 Kia oraは、マオリ語でのWelcomeで、ニュージーランド全体でよく使われる出会いの挨拶です。今日は天気も良好、よき旅日和となりまして、Rotorua, HamiltonまでのRoad Tripをしてきました。 レンタカーを借りて行く訳ですが、…

雜考1

眠れないので、今考えていることを書きます。ブログらしい使い方でしょうか。 ここ数日、僕(一人称はフォーマルな時以外は「僕」にしようと思う)を悩ませるのが「時間」への意識だ。かいつまんで言うと、今の状態が永続しないという事実への鬱屈、あるいは…

翻訳事始―詩の言葉から

初めまして。自分の文章を人に見せるのは、やはり気恥ずかしい気もします。今回はまじめに、翻訳について、詩について、考えていきたいと思います。 日本と季節が逆なので、冷え込んできました。ニュージーランドに来て、大学で日々たくさんのことを学んでい…